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毎度御馴染みの…… 

カテゴリ:閑話休題

っていうか、もうこれしかないんじゃないかっていうスチール写真で、どうもすみません。
CRAZY WANKER 2003 MUSCLE MANIAC VOL1
CRAZY WANKER 2003 MUSCLE MANIAC VOL2

なにせ、この頃30代の後半で一番「脂」が乗ってた、っていっても体脂肪は一桁台だったんですが、筋肉も今よりたっぷりついてた頃のものなので……。( ^ ^;)

で、この写真の元となった「動画をこっそりと」某遥かカナダのサイトなど数カ所にばらまいています。

ご覧になった方、応援よろしくです。m( _ _ )m

で、ここのところの天候不順っていうより、いきなり初夏の陽気で持病の治療計画もあり、ちょっと体調不良気味…、身体もかなり萎んでしまって、イマイチです。( ; ; )
MyPicture.jpg

って、歳のせいも(四拾四)あるかも…。

……ぼちぼち、がんばります。( ^ ^;)

暮らしの呪詛(スカトロジー編) 

カテゴリ:閑話休題

まず台風、地震の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

さてマスコミを通じて未だ新型インフルエンザがなにかと取りざたされて、冬は風邪、春は花粉症に続いて、夏もマスクをするのが珍しく無くなっています。
数年前に流行した毒性の強い「サーズ(SARS)」に比べれば、毎年のようにはやる一般的なインフルエンザと大して症状が変わらないにも関わらず。新しい病気に対してこんなに神経質な反応を示すのは、温暖湿潤気候で食べ物も腐りやすく伝染病も流行しやすい環境の中で暮らして来た日本人の、古来からの「穢れ」を「祓い清め」、「無病息災」をもって良しとする価値観と、文化背景ならではの現象ではないかと思われますね。かく言う私も、まずは、外から帰ったらうがい、手洗いを習慣づけております。皆様もどうぞ、お忘れなく。

さて、インフルエンザやさらに軽い風邪の伝染の元となることといえば「くしゃみ」ですが、このくしゃみをするときになぜわざわざ「ハクション」「ハクシュン」などとかけ声をかける習慣があるのでしょう?

日本語版ウイキペディアでは「くしゃみの語源は「嚔(くさめ)」という言葉である。中世の日本ではくしゃみをすると鼻から魂が抜けると信じられており、そのためにくしゃみをすると寿命が縮まると信じられていた。そこで早死にを避けるため「くさめ」という呪文を唱えるようになり、いつしかそれが「くしゃみ」という名前となり、その行為そのものを指すようになった。「くさめ」という呪文の語源ははっきりしておらず諸説あるが、陰陽道の「休息万命(くそくまんみょう)」や「休息万病(くそくまんびょう)」を早口に言ったものとする説や、くしゃみの擬声語の名詞化とする説、「糞食め(くそはめ)」が変化したものであるという説などがある。」と説明されています。

ということで、僕が支持するのは魔物に対して「糞尿」など、醜悪な言葉を用いて魔物を同族嫌悪させ追い払おうとする、モンゴルの伝統に起源を同じくすると考えられる、「糞食め(くそはめ)」が変化したものであるという説。モンゴルでは今も子供が生まれると「糞まみれちゃん」「悪魔ちゃん」などと、わざととんでもない名前を付けるのだそうです。日本では過去に「悪魔ちゃん」と名付けようとした親に対して、ひと騒動ありましたが、モンゴルでは「常識」だったんですね。
ちなみに古く男子の幼名に付けられる「丸」「麻呂」「麿」は、排泄行為を表す古語で、一時代は排泄物も指していた可能性があるそうで、現在も「おまる」として残る「まる、まろ」という語に当てられた漢字ではないかという説があります。つまりモンゴルの「暮らしの呪詛」が日本にも伝わっていたと考えられるからなんですね。

余談ですが、この語は大小の排泄行為を表し、五段活用では「まら、まり、まる、まれ、まろ」となることから仏教伝来当時、最先端のサンスクリット語「魔羅=まら」が語呂も合うためペニスの隠語として当てられたという説があります。つまるところ「魔物=まもの」と言えば排泄物そのものでもあるわけですね。w

そもそも、魂が抜けるとされる「くしゃみ」は鼻にその魔物が取り憑いたために起こると考えられました。現在も多くの場合健在の「はくしょん」のかけ声が、魔物、すなわち現在の病原ウイルスに対して、祓い、調伏の呪文として唱えた「くそくらえ」の意の古語だとすれば、「糞食め(くそはめ)」の「くそ」は、排泄物の匂い「くそう=臭う」の語源ともされるため、正に鼻に対応する言葉でもあります。間もなく「くさめ」と短縮化され、呼吸音「は」が前置詞として加わったものと考えられます。これは室町時代には「は、く(っ)さめ」と訛り、狂言「髭櫓」で流派によっては最後の台詞、今で言う「お決まりのギャグ」として登場します。
そういえば、こういう言葉の短縮化も日本の活きた伝統で、最近では「セクシャルハラスメント」を「セクハラ」としたり、「メタボリック症候群対策」を「メタボ対策」としたり、「マジでハンパねえっす」も「マジパネェっす」と変化していますよね。w

さらに江戸時代から現代にかけて、くしゃみが出ると同時にこの呪文を唱える習慣となり語末の命令形「(sh)ame」が発音しやすい強調音「(sy)on」に置き換わり、「はくしょん」となり、さらに近世にかけて「はくしゅん」の変形が誕生したものと思われます。なお、日本語では「M=む」と「N=ん」の発音をはじめ多くが厳密に分けられていないため、他の言語以上に言葉の置き換わりが容易な側面も手伝っているようですね。

なお、私的な推測ですが、古代エジプト、古代アッシリア、ヘブル文化圏で同じ語源から発生したとされる「AMEN=アメン(アーメン)」と同義とも解されるサンスクリット語の聖音「オーム」は仏教教典の漢語音訳で「唵=口へんに俺のつくり」で、日本に伝わった当時は「あうむ」または「あうん=阿吽」のように発音されていたようですが、時代が経つにつれて「唵=おん(on)」と読まれます。幼児語で仏様のことを「のんのんさん」という地方がありますがこれも元は「おんおんさん」が訛ったもののようです。
この呪文の語尾が命令形「(sh)ame」から「(sy)on」に変化した要因としては、観世音菩薩、不動明王などへの信仰がカッコいい流行でもあった江戸時代に、読経などを聞いて「門前の小僧、習わぬ経を読む」の諺通りに「おん」の発音が記憶され、潜在意識的に仏の加護を願う念が込められていったことによる語尾変化ではないかとも考えられます。また偶然の一致かもしれませんが変形である「はくしゅん」の発音の中には「hAksyUN」と大文字で示したように、「あうん」の音が順序通り含まれています。

さらにこの呪文「糞食め(くそはめ)」は、このかけ声の変化と共に単語化が進み、語尾の命令形「(sh)ame」が動名詞形となって「(sh)ami」に変化し、現在の「くしゃみ」となったそうです。 ただ、日本語というのは同じ言葉でも、地方によって語源が異なったり由来も異なったりすることが多いそう。言葉の音が少なく、語呂合わせが好きで、換骨奪胎して元の意味が不明になってしまうのも、日本では大変おこりやすい現象です、たとえば、
「端を持って橋の端を走る=はしをもってはしのはしをはしる」
という言葉と文を一定地域のイントネーションで発音すると
「箸を持って端の橋を走る」
とか、それぞれの地域によって受け止められる意味が違って来ます。

また
「はしをもってはしのはしをはしる」
と仮名表記のみで濁音も同等に扱い、「を」と「お」を同じ音とした暗号文として捉えると、
「嘴、想って箸の始をば知る」とも、
「恥を持っては忍ばじ叔母知る」とか、
様々に解釈ができてしまいますからね。さてさて、どのような説がこれから定説となっていくのでしょうか。( ^ ^ )

さらにこの「はくしょん」は「まんが」の擬音やアニメの台詞表現の多様化に伴って「へっくしっ」「くしゅん」「くちゅん」「ぶわくしょい」など様々なバリエーションが派生しています。
また意味通り英語化された「へぶしっ=Have shit」などもあり、21世紀に活きる私たちにとって最も身近な「暮らしの呪詛」のひとつとなっているのでありますね。(大仰)

なので、暮らしの呪詛(スカトロジー編)解釈によると、アニメのタイトル「ハクション大魔王」は「破糞食大魔王」となり「大いなる魔王に糞を食らわせ破る」いう意を込めた霊験新たかな魔除けの呪文になる可能性があります。ってか、流行遅れのトリビアネタですみません。ある方の日記に返信として書いたんですが、ちょっと書き足りなくなってしまったので、日記にしちゃいました。
m( _ _ )m

暮らしの呪詛(言語明瞭意味不明編) 

カテゴリ:閑話休題

「ひとつ人の世の生き血をすすり、ふたつ不埒な悪業三昧、みっつみにくい浮き世の鬼を、退治てくれよう桃太郎」
とは、桃太郎侍の数え歌ですが、そもそも「ひとつ、ふたつ、みっつ」というのが呪文を使った数え歌なのは皆さんご存知でしたか? 最近、ゲームなどに取り入れられて動画などもあったりして密かなブームになっている様子…。

実はこれ「ひふみ祝詞」という呪文だそうで、全文は「ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐつわぬそをたはくめかうおえにさりへてのますあせゑほれけ」というもの。この最初の10文字分に接続動詞「つつ」を続けると母音による子音変化で「ひとつ、ふたつ、みっつ」となるんですね。

歌として歌う時、祝詞として唱える時、などなど目的に応じて区切る場所が違うという不思議な呪文で、意味はというとずばり「不明」です。

ってか、これでは話が終わってしまうので、もう少し続けますが、ある解説によるとこの祝詞、
「文献上では、物部(もののべ)氏の史書として知られる『旧事紀(くじき)(先代旧事本紀)』に、「ひふみ」十音の記述が見られる」とされていて、最初は10文字分だけだったことは間違いないようですが、記述は仮名でなく漢字な上、学術的に「偽書」とされていて、実際に古代にどう読んだかは実は不明だったり、
「“超古代から連綿と伝承されてきている秘伝的な霊威を持つ神言”であることは、様々な面から裏付けられる」という割にはどう読んでも日本のどの古文とも共通点が無かったり、
「ひ=日、ふ=風、み=水、よ=世、と森羅万象を表している」という説明も、かなり不出来な語呂合わせか、こじつけの域を出ていなかったり、その他ほとんどが10文字分だけのもので残る38文字分の解釈や解説は見当たりません。

そのうえ、日本の言霊信仰によれば、言葉の「意味」よりも「発音」に力があるとされていて、言葉=ロゴスとしての「論理」「真理」とは違い、意味が不明でも意味が通らなくても「良い」「頭ではなく心で感じる」ものなんだそうで、信仰としてはそれでよいとしても、由来や語源を学ぼうとすると、さらに混迷の度合いが深まります。しかし、さらに、
「近世では、~宮中から追い出された~○○神道が採用していた。~国家が滅ぶと馬鹿な予言を伝え~怨念が篭もった「ひふみ祝詞」が近年、何故か人気があります」なんていう、おいおい、こんなの大丈夫か? というような解説もあって、全くどれもこれも信頼性に欠けるものばかり。( ^ ^;)

そんな中で「おや?!」、と思わせるものが古ヘブライ語説、なんでも「ひふみよいむなやこと」の音節はかなり日本風の発音に変化してしまってはいるものの
『HI・FA・MI・YO・TSIA・MA・NANE・Y・KAKHENA・TAWO=その美しい人を誰が出すのか? 彼女を連れ出し、彼女が来るために、どのように答えるのか?』と音訳することが可能だとか、
この内容から「天岩戸の故事」でアマテラスノオオカミ(アマテラスオオミカミ)を呼び出す呪文だとする解説が多いのですが、しかし、しかしです。
たしか神話では、アメノウズメノミコトが裸踊りを舞い踊り、外が気になってアマテラスノオオカミが岩戸を少し開けたところでアメノタヂカラオノミコトがその岩戸をこじ開けて七五三縄(しめなわ)をかけて引っ張り出したはずで、言葉だけで口説き出したのではないのでは? しかも故事上、女神のストリップショー見たさに岩戸を開けてしまったアマテラスノオオカミは男神とも解されていて、事実、地方によって性別がまちまちだったのを女神に統一したのはたしか明治に入ってからでは? とまあツッコミを入れたくなってしまうような大雑把なもの…、いやはや。

こうした語源や由来の混乱については(スカトロジー編)でも説明しましたが、さらに最大の要因としては、400年もの鎖国の後に「尊王攘夷」と本来なら相反する「開国」を一緒にしてしまい、400年前まで64の小国がそれぞれ独自に海外交易をしていた歴史をすっかり忘れてしまって、古くから日本にあったものは全て純日本製、純日本産と思い込もうとする傾向があるかもしれませんね。

それでも、「その美しい人を誰が出すのか? 彼女を連れ出し、彼女が来るために、どのように答えるのか?」という意味の古へブライ語説に一定の分がありそうな理由としては、こちらのウイキペディア日本版「日ユ同祖説」の説明に詳しくありますが
伊勢音頭の囃子詞「ヤートコセ・ヨーイヤナ」が「IH・TQY・SWR・IHWI・IkhNN=神は・投げた・敵を・神は在る・憐れみ深く」と音訳できたり、
「ワッショイ」は、「ヴァー・イェシュ・イャー(VA・Ysha'・YH) 来る・救い・神」 と解せるという説明もあり、語源を中東地域に求められる可能性もあるらしいことです。
ただ「ワッショイ」は、「四天王寺ワッソ」の韓国語の「ワッソ=来た・いらっしゃい」が語源とする説もあります。こちらは韓国語の方にヘブライ語と共通する意味があり、経由についてはさらに研究が必要のようです。

それで、これらの符合はどういうことで、どう言いたいのかと言うと、日本人とユダヤ人が同じ祖先を持つというのではなくて、正倉院ペルシアの宝物が収められていたのと同じく、江戸時代以前の古代日本では大陸からの使節が伝えたおもしろ言葉とか、遣隋使、遣唐使といった人々が覚えて帰ってきた海外の流行歌だとかもあって不思議はないはず、ということなんですよね。
 
そんなに長い間、意味不明な外国語の歌詞が残るものか? という疑問もありますが、江戸時代に禁止されていたにも関わらず、キリスト教を守っていた隠れキリシタンが相伝の口伝えだけで残し、意味不明となっていた「歌オラショ」の「ぐるりよーざ」の詞を調べていったら、16世紀のスペイン・グラナダ地方で歌われ、現在は廃れてしまっていた聖歌「O Gloriosa(オ、グロリオーザ)」の歌詞とほぼ一致したそうで、日本人の記憶力がどれほどのものか、立証されたりもしています。

そんなこんなで「ひふみ祝詞」が古へブライ語で「その美しい人を誰が出すのか? 彼女を連れ出し、彼女が来るために、どのように答えるのか?」という『ソロモンの雅歌』を彷彿とさせる意味であれば、そもそもは呪文ではなく、隊商によって東方へ伝えらたり大陸との交流によって日本にもたらされた恋歌の一節だったのでは? と思わせられるんですね。そして、その意味を知った人たちが「これは良い」と自分たちの氏神の女神様に西方渡来の歌として奉納し、次第に神通力を賜るための祝詞となっていったのでは? と推測ができます。

そういえば、むかしタレントのタモリさんがテレビの対談でプレスリーの『ハウンド・ドッグ』の歌詞を「湯煙鳴原波雲堂(ゆえんなきばらはうんどー)=You ain't nothin' but a hound dog」とすべて漢字で友達に教えたと話していました。プレスリーのハウンド・ドッグも、いつしか「湯煙祝詞」となる可能性が、無きにしもあらずですね。w

んで、話は変わってインドに伝わるサンスクリット語の聖音「オーム」の原初の発音は、口を大きく開け喉を開いて口から声を出しながら、そのままゆっくり口を閉じて鼻声で終わる発音方法だと言われています。

さて、試しにやってみましょう、みなさんもやってみてください、…あれ? ほら、おわかりでしょうか? 

さわやかな朝の目覚めの第一声、心と身体に覚醒を促すのは、まさにこの聖音「アクビ」だったというのが、私の持説です。
ちなみに同じ発声方法で口を閉じた状態から続けて2回繰り返すと「オーム」と同義とされる原初の「アーメン」も発声できます。

先日初回の「くらしの呪詛」はハクション大魔王で締めたので、今回は娘の「アクビちゃん」も登場させました。それではまた。m( _ _ )m

米飯を盛る食器をなぜ「茶碗」という?~まとめ。 

カテゴリ:閑話休題

歴史的に先ず茶の湯などに適した大きさ・重さなどが、手に持つのにちょうどよい、取り扱いに便利である手頃な陶磁器を「茶碗」という通称で呼んでおり、後にその「茶碗」とほぼ同じ様な大きさや形状の手頃な陶磁器に米飯を盛ることが一般的となったが、通称の「茶碗」が器そのものの名称、名詞として残ったため。

歴史
日本では古く食器全般を表す言葉として「笥=け」が用いられていた。この「け」の語は「食え=くえ」が転じたとも云われ、のちに朝昼晩の食事そのものを指す「あさ(げ)・ひる(げ)ゆう(げ)」という言葉に組み込まれ、現在もインスタント食品の商品名として知られる。
平安時代初期に遣唐使、空海らが中国から「茶」を持ち込み日本で栽培も始まる。同時に外来語の「茶=チャ」も通用語化する。
室町時代までには交易により中国から高級品である磁器が輸入されはじめたようだが、もともと中国に形状大きさによる綿密な名称の区別は無かったようである。
室町時代末期には茶の湯が流行し国内でも有田焼などの磁器が作られるようになる。
戦国の安土桃山時代に茶の湯が完成されさらに日本各所で磁器制作が盛んとなる。
江戸時代に入り、磁器の食器は一般庶民にも浸透し、すでに「茶碗」として流通していた食器に飯を盛るのが一般化していく。さらに茶碗より大きく重い碗は「丼鉢」と通称、区別されて現在に至る。
さらに大きさや形状や用途に応じて「ごはん茶碗・飯茶碗」「湯呑み茶碗」「抹茶茶碗」などと区別される。
「碗・椀=ワン」の語は主食の飯や汁物の器に使われる語となっており、主菜は専ら「皿」に盛られ、副菜のための碗には始めに「大中小」を付けて食器以外の陶磁器にも使われる「鉢=はち」の語が使われることが一般的である。これは江戸時代に定着した「一汁一菜」という食事の基本概念が現在も生きているためと思われる。

語源
古い食器の総称、「笥=け」に対して、陶磁器の輸入を通じて中国語の「碗=ワン」という食器を表す言葉も通用語化したと考えられる。ただし陶磁器の「碗=ワン」と木製や漆器の「椀=ワン」は同じ発音になるため、茶の香りを邪魔せず茶の湯に適した陶磁器の碗を木製や漆器の椀と区別するために便宜上「茶碗」と通称したのではないかとも考えられるが、英国の東インド会社を通じて通称となった「China(磁器)」に、直接的に由来しているとする説など諸説ある。
茶碗


※親しい人に茶碗の由来を説明するのに書いたものですが、もったいないので公開してよ。ということなのでこちらで発表しました。( ^ ^ )