「ひとつ人の世の生き血をすすり、ふたつ不埒な悪業三昧、みっつみにくい浮き世の鬼を、退治てくれよう桃太郎」
とは、桃太郎侍の数え歌ですが、そもそも「ひとつ、ふたつ、みっつ」というのが呪文を使った数え歌なのは皆さんご存知でしたか? 最近、ゲームなどに取り入れられて動画などもあったりして密かなブームになっている様子…。
実はこれ「ひふみ祝詞」という呪文だそうで、全文は「ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐつわぬそをたはくめかうおえにさりへてのますあせゑほれけ」というもの。この最初の10文字分に接続動詞「つつ」を続けると母音による子音変化で「ひとつ、ふたつ、みっつ」となるんですね。
歌として歌う時、祝詞として唱える時、などなど目的に応じて区切る場所が違うという不思議な呪文で、意味はというとずばり
「不明」です。
ってか、これでは話が終わってしまうので、もう少し続けますが、ある解説によるとこの祝詞、
「文献上では、物部(もののべ)氏の史書として知られる『
旧事紀(くじき)(先代旧事本紀)』に、「ひふみ」十音の記述が見られる」とされていて、最初は10文字分だけだったことは間違いないようですが、記述は仮名でなく漢字な上、学術的に「
偽書」とされていて、実際に古代にどう読んだかは実は不明だったり、
「“超古代から連綿と伝承されてきている秘伝的な霊威を持つ神言”であることは、様々な面から裏付けられる」という割にはどう読んでも日本のどの古文とも共通点が無かったり、
「ひ=日、ふ=風、み=水、よ=世、と森羅万象を表している」という説明も、かなり不出来な語呂合わせか、こじつけの域を出ていなかったり、その他ほとんどが10文字分だけのもので残る38文字分の解釈や解説は見当たりません。
そのうえ、日本の言霊信仰によれば、言葉の「意味」よりも「発音」に力があるとされていて、言葉=
ロゴスとしての「論理」「真理」とは違い、意味が不明でも意味が通らなくても「良い」「頭ではなく心で感じる」ものなんだそうで、信仰としてはそれでよいとしても、由来や語源を学ぼうとすると、さらに混迷の度合いが深まります。しかし、さらに、
「近世では、~宮中から追い出された~○○神道が採用していた。~国家が滅ぶと馬鹿な予言を伝え~
怨念が篭もった「ひふみ祝詞」が近年、何故か人気があります」なんていう、
おいおい、こんなの大丈夫か? というような解説もあって、全くどれもこれも信頼性に欠けるものばかり。( ^ ^;)
そんな中で「おや?!」、と思わせるものが古ヘブライ語説、なんでも「ひふみよいむなやこと」の音節はかなり日本風の発音に変化してしまってはいるものの
『HI・FA・MI・YO・TSIA・MA・NANE・Y・KAKHENA・TAWO=その美しい人を誰が出すのか? 彼女を連れ出し、彼女が来るために、どのように答えるのか?』と音訳することが可能だとか、
この内容から「
天岩戸の故事」でアマテラスノオオカミ(アマテラスオオミカミ)を呼び出す呪文だとする解説が多いのですが、しかし、しかしです。
たしか神話では、アメノウズメノミコトが裸踊りを舞い踊り、外が気になってアマテラスノオオカミが岩戸を少し開けたところでアメノタヂカラオノミコトがその岩戸をこじ開けて七五三縄(しめなわ)をかけて引っ張り出したはずで、言葉だけで口説き出したのではないのでは? しかも故事上、
女神のストリップショー見たさに岩戸を開けてしまったアマテラスノオオカミは男神とも解されていて、事実、地方によって性別がまちまちだったのを女神に統一したのはたしか明治に入ってからでは? とまあツッコミを入れたくなってしまうような大雑把なもの…、いやはや。
こうした語源や由来の混乱については(スカトロジー編)でも説明しましたが、さらに最大の要因としては、400年もの
鎖国の後に「
尊王攘夷」と本来なら相反する「
開国」を一緒にしてしまい、400年前まで64の小国がそれぞれ独自に海外交易をしていた歴史をすっかり忘れてしまって、古くから日本にあったものは全て純日本製、純日本産と思い込もうとする傾向があるかもしれませんね。
それでも、「その美しい人を誰が出すのか? 彼女を連れ出し、彼女が来るために、どのように答えるのか?」という意味の古へブライ語説に一定の分がありそうな理由としては、こちらの
ウイキペディア日本版「日ユ同祖説」の説明に詳しくありますが
伊勢音頭の囃子詞「ヤートコセ・ヨーイヤナ」が「IH・TQY・SWR・IHWI・IkhNN=神は・投げた・敵を・神は在る・憐れみ深く」と音訳できたり、
「ワッショイ」は、「ヴァー・イェシュ・イャー(VA・Ysha'・YH) 来る・救い・神」 と解せるという説明もあり、語源を中東地域に求められる可能性もあるらしいことです。
ただ「ワッショイ」は、「
四天王寺ワッソ」の韓国語の「ワッソ=来た・いらっしゃい」が語源とする説もあります。こちらは韓国語の方にヘブライ語と共通する意味があり、経由についてはさらに研究が必要のようです。
それで、これらの符合はどういうことで、どう言いたいのかと言うと、日本人とユダヤ人が同じ祖先を持つというのではなくて、
正倉院に
ペルシアの宝物が収められていたのと同じく、江戸時代以前の
古代日本では大陸からの使節が伝えたおもしろ言葉とか、遣隋使、遣唐使といった人々が覚えて帰ってきた海外の流行歌だとかもあって不思議はないはず、ということなんですよね。 そんなに長い間
、意味不明な外国語の歌詞が残るものか? という疑問もありますが、江戸時代に禁止されていたにも関わらず、キリスト教を守っていた
隠れキリシタンが相伝の
口伝えだけで残し、意味不明となっていた「
歌オラショ」の「
ぐるりよーざ」の詞を調べていったら、16世紀のスペイン・グラナダ地方で歌われ、現在は廃れてしまっていた聖歌「O Gloriosa(オ、グロリオーザ)」の歌詞とほぼ一致したそうで、
日本人の記憶力がどれほどのものか、立証されたりもしています。そんなこんなで「ひふみ祝詞」が古へブライ語で「その美しい人を誰が出すのか? 彼女を連れ出し、彼女が来るために、どのように答えるのか?」という『ソロモンの
雅歌』を彷彿とさせる意味であれば、そもそもは呪文ではなく、
隊商によって東方へ伝えらたり大陸との交流によって日本にもたらされた恋歌の一節だったのでは? と思わせられるんですね。そして、その意味を知った人たちが「これは良い」と自分たちの氏神の女神様に
西方渡来の歌として奉納し、次第に神通力を賜るための祝詞となっていったのでは? と推測ができます。
そういえば、むかしタレントのタモリさんがテレビの対談で
プレスリーの『
ハウンド・ドッグ』の歌詞を「湯煙鳴原波雲堂(ゆえんなきばらはうんどー)=You ain't nothin' but a hound dog」とすべて漢字で友達に教えたと話していました。プレスリーのハウンド・ドッグも、いつしか「湯煙祝詞」となる可能性が、無きにしもあらずですね。w
んで、話は変わってインドに伝わるサンスクリット語の聖音「
オーム」の原初の発音は、口を大きく開け喉を開いて口から声を出しながら、そのままゆっくり口を閉じて鼻声で終わる発音方法だと言われています。
さて、試しにやってみましょう、みなさんもやってみてください、…あれ? ほら、おわかりでしょうか?
さわやかな朝の目覚めの第一声、心と身体に覚醒を促すのは、まさにこの聖音「アクビ」だったというのが、私の持説です。
ちなみに同じ発声方法で口を閉じた状態から続けて2回繰り返すと「オーム」と同義とされる原初の「
アーメン」も発声できます。
先日初回の「くらしの呪詛」はハクション大魔王で締めたので、今回は娘の「アクビちゃん」も登場させました。それではまた。m( _ _ )m